バーにはどんなお客さんが来るのでしょう。
グラスを傾けながら静かに飲みたい人。
そういうお客さんが多い、
といいたいところですが、
実際そうでもないことも多々あります。
とにかくおしゃべりが好きで、
だれかれ構わず話したい人。
そういう人も結構いたりします。
Aさんの場合がそうでした。
これは、とある日の深夜の出来事。
その日は特に静かでした。
冷蔵庫が起動する音がわかるくらいに。
そして、店にはお客さんが
カウンターに一人いるだけです。
彼の傾けたグラスから、氷がカランと響きます。
とそのとき、運悪くAさんが入ってきました。
Aさんの普段を知る私には、
まさに運悪くという感想がぴったりです。
そして席をひとつ空けた隣に座ります。
ふたりのお客さんと私、
その三角形の空間がぐにゃりと歪みます。
まずいなあ、どうしようかなあ……。
まずは音楽をほんのわずか大きくして
(Aさんの声がなるだけ店内に響かぬよう)
Aさんの視界にお隣さんが入らぬよう
わたしは場所を移動します。
これって接客の基本です。
お客さんと話をするときに
二人を何げにくっつけたいときは
バーテンダーはW地点に。
逆に二人をできるだけ
離したいときは2W地点に。
そしてAさんの話を
ふむふむと聞いていたところ
物静かな彼にいきなり
話をふりはじめたのです。
「ねえ、どう思います?」
まずい、まずい、非常にまずい。
「はあ……」
物静かな彼は苦笑いで答えます。
「はあじゃなくて。
じゃあ、最初から説明しますね」
物静かな彼、
いちおうAさんの話に耳を傾けるも
迷惑がっているのは明らかです。
そうするうちに、彼が言った一言。
「僕にはよくわからないです」
精一杯の抵抗ですね。
すると、Aさん。
「人の話はちゃんと聞かなくちゃ」
うわ、最悪だ。
たまりかねたわたしは
すかさず入っていきます。
「飲むスタイルは人それぞれ。
ゆっくり飲みたい人だっていますよ」
聞きたくない話は誰だってありますよ
という意味をたっぷり込めて。
その後、Aさんは少し静かになった。
ときおりわたしに向けて、
ぽろりぽろりと話をふるぐらいで。
そしてまもなく、
物静かな彼は帰っていきました。
飲み残したウイスキーが
とても物悲しく映ります。
以前に何度か
同じような状況がありました。
じつは、近々Aさんに
伝えなければと思っていたのです。
Aさんの話を聞きたい人ばかりじゃないですよ。
特に一方的にしゃべられては、迷惑な方もいます。
という意味を。
わたしは、今夜がよい機会だと思いました。
Aさんに話そうと、
身を乗り出したそのときでした。
「マスターごめん」
ん、どうしたんだ?
「俺が悪いよね、やっぱり」
え、え、どうしたの、Aさん。
「俺、約束する」
なんだ、この展開は?
「今後、絶対に俺からしゃべりかけないから」
どうやら、わたしの言わんとすることを、
Aさんは理解してくれたようでした。
正直、Aさんには迷惑していましたが
向こうから切り出されると、
なんだか少し申し訳ない気にもなりました。
かわいそうな気にもなりました。
そして同時に思いました。
おそらくもう来ないんじゃないだろうか。
でも、それはそれで仕方がないとも思い
その日の店を閉じました。
そして翌日、
Aさんが来たのです。
友達を連れて。
そして帰り際、
「マスター、俺約束忘れてないから」
ありがとうAさん。
仕事は毎日が勉強。
お客さんから教わることも多いです。
そしてなにより、
それぞれのお客さんの思いを理解しようと、
決意を新たにした次第でありました。