スピリッツについて

酒の世界では蒸留酒のことを指します。その歴史はビールやワインよりも新しく、広くつくられるようになったのはおそらく11~12世紀頃だと思われます。

蒸留酒を簡単にいえば、醸造酒(発酵液) を熱して沸点の違いを利用して水よりも低い沸点のアルコールを気化させ、さらにそれを冷却して液化させ、もとの発酵液よりもアルコール濃度(度数) の高い液体にすることです(蒸留)

ビール状のものを蒸留すればウイスキーに、ワイン状のものはブランデーとなります。

ホワイトスピリッツの画像

スピリッツの歴史

最古の蒸溜酒といわれているのは紀元前には存在していたとされるアラックで、メソポタミアを中心につくられていたようです。

ナツメヤシの実の汁を発酵、蒸溜していたらしいですが、現在アラックは中近東から東南アジアにかけてつくられている蒸溜酒の総称で、使われる原料もさまざまです。

中国の白酒(パイチュウ)はアラックの影響が強いといわれ、宋の時代(10~13世紀)には醸造酒よりも長期保存がきくと知られていたようです。また紀元前9世紀頃には、米からつくる蒸溜酒があったとも伝えられていて、これが真実とすると、中国の蒸溜酒の歴史はかなり古いということになるかもしれません。

ヨーロッパでは中世になってから数々の蒸溜酒が生まれていきました。

  • フランス、イタリア、スペインなどのブランデー
  • アイルランドやスコットランドのウイスキー
  • ロシアやポーランドなどのウオツカ
  • 北欧のアクアヴィット
  • オランダのジュネヴァ(ジン)

さまざまな土地で、入手可能な原料を使って個性的な香味が誕生していきます。ただし7世紀のスペインではワインをすでに蒸留していたともいわれています。

大航海時代には蒸溜技術がヨーロッパから海を渡り、カリブの島々や新大陸に伝播しラムが生まれました。またその後、メキシコでテキーラが誕生します。


蒸溜酒が発展した理由のひとつに、ビールやワインといった醸造酒よりも長期保存がきくことがあげられます。

そのいい例として、イギリス海軍では1740年から1970年の230年にわたりラムの水割りが海兵に支給されていました。また古くは、海軍将校の間で夕食の食前酒としてジンを飲む習慣があったそうです。

スピリッツに関する興味深いエピソードに1812年、ナポレンオンのロシア遠征があります。まさにブランデーとウオツカの戦いでした↓↓↓

アウェーで長い補給路に無理が生じていたナポレオン軍は晩秋の寒波の到来時にブランデーもなく、ホームのロシア軍はウオツカが十分にあり、士気が衰えることはなく、ナポレオンはウオツカに敗れたと言われました。

スピリッツが洗練され、また大量生産できるようになったのは19世紀に入ってからのこと。

1831年、アイルランドのイニアス・コフィーが開発した連続式蒸溜機が特許を取得し、この蒸溜マシーンが使用されはじめるとウイスキー業界に革命を起こしました。

小麦やトウモロコシといった穀類を原料にした軽快でクリーンな酒質のグレーンウイスキー(アルコール分95%未満) を生産できるようになりました。やがて大麦麦芽を原料にした単式蒸溜器を使ってつくられるモルトウイスキーとこのグレーンウイスキーのブレンドによる、ブレンデッドウイスキーという新しい香味が創造されたのです。

連続式蒸溜機はウイスキーの世界にとどまらず、穀類を原料とするグレーンスピリッツ(アルコール度数95%以上) の分野を発展させました。

まずはジンの製造に革新をおよぼし、19世紀半ばを過ぎるとウオツカやラム、テキーラなどのさまざまなスピリッツの製造にもちいられるようになりました。その後、雑味のないクリアなスピリッツがつく造り出されるようになり、またさまざまな改良が加えられて、いまの洗練にいたっているのです。

広義ではウイスキーやブランデー、焼酎などもスピリッツになりますが、ここではそれらを除くウオツカ、ジン、ラム、テキーラといった、いわゆるホワイトスピリッツ(四大スピリッツ) に焦点を絞って説明していきます。


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